暑さと老害

うだるほど暑い。なにやら日本全国が猛暑を超えて酷暑の様相を呈している。

地球温暖化なのか、日本だけの現象なのかわからないが、年々暑くなっていることだけは事実。

年配の方は昔はクーラーなんて使ってなかったと自慢げに語り、学校でのクーラー使用や部活中、授業中の給水に疑問を呈して話題になる。

そもそも気温が上昇傾向にも関わらず。

ここから分かるのは年齢を重ねると、過去の体験や自身の経験値を重視しがちで、論理的でなくなってしまうのかもしれない。

お年寄りと聞いた時に、頑固そうという前のめりの印象を持ちがちな私。

これも思い込みの一つかもだけど、過去の経験からそう刷り込まれてしまっている。
もちろんそうではなく、素敵に年齢を重ねた人もいるはず。

何が言いたいかと言えば文明の力は積極的に使っていくべきってこと!
クーラーなんてのはもちろんだけど、科学的に給水のタイミングや飲むべき飲料の質なんてのは既に分かっていることで、前時代的な根性論は徹底的に排除しなければいけない。

体の仕組みは急には変わらないんだから、自然環境が変わってしまうのであれば、ルールが人に合わせるしか無いよね。

話はそれるけれど日本的な価値観や教育現場ってなんでこんなに硬直的なんだろうね。
世界的にはどうなんだろ?

人種を超えて旧世代とのギャップや凝り固まった固定観念との戦いってのはあると思うのよ。
てなると日本人だけじゃ無い現象なのかな。

ただ、日本は島国で外界からの攻撃(いい意味では刺激)が少ないし、村社会の縦割りルールができやすいとも感じる。

ステレオタイプに聞き覚えた話だけど、日本の足し算の教育は1+1=答えはなに?ってな設問ばかりだけど、海外では○+○=3は?といった思考の柔軟性や本質的な考える力を養うような教育がなされているって聞く。
反対に日本の教育で話題になるのは、掛け算の式を作るときの順番や答えの書き方そのもので減点するなど、なんだか変な型にはめるような教育が横行しているようにも。

その他にも、アメリカのほうがADHDへの理解が深いとか、なんとなく日本が遅れてて、閉鎖的で独善的な感じを受けるのは単に自国民だからこそ、悪いところだけがピックアップされて見えているだけなのかもしれない。

それでもやっぱり、教育の型にはめようとする仕組みやコレまでの状況を見てしまうと、なにか悪いところがあるんじゃないかなとも。
最近も催し物を優先するばかりに、熱中症でなくなる小学生が出るなど、なんだかなーが拭えない。

特に学校の教育現場は司法の治外法権的な要素も強くて、体罰で生徒を殺してしまったり重症を負わせてしまっても、比較的軽い刑にしかならないなんて事例もある。

これは教育現場だけでなく、懲罰的な罰則がないことに起因しているのではないかと思う。

例えば、ブラック企業がのさばる理由は、労基に力が薄く、そして人も足りていないからこそ、人を酷使した者勝ちが許されている。

これと同じく、教育現場も体罰は、世の中で起こった暴力よりも罪が少なくなると結局それはやったものがちになるんだよね。

料理をすればいつもどおり。汗を流して昇華する。

荒れた時。辛い時。

料理をすればいつもどおり。

なんでかな。その答えは簡単だと今日気づいた。

段取りを考えて、一つ一つに作業があって、出来上がりというゴールがあるから。

この過程で私はわたしを取り戻す。

昨日まで悩んでいたこと。そして嫌な自分。貴方のキライなとこ。
そういったものを切り刻んで、焼いて、炒めて、時に揚げる。
そうすると自分の中にとどまっていた澱のような感情も昇華していく。

昇華という言葉はイイよね。料理中の鍋から出る湯けむりとともに私のこんがらがった感情は、既に刻まれた具材のように細分化され、コトコト煮込まれた鶏肉のように柔らかくほぐれて気化していく。

ちょっとでも仲直りできていれれば、貴方は私の作ったものを喜んで食べてくれる。
私が切り刻んで、昇華した私の気持ちが貴方の胃を通って内蔵を経て貴方そのものになる。

料理はバラバラになった私の感情が貴方の一部になる行為そのもの。
合理的で科学を絶対の神として信望する貴方なら馬鹿らしいと一蹴するかもね。そうかもしれない。
でもいいの。

料理も科学的には、成分・素材の裁断・加熱での分解・調味料によるマジック、化学で全てを分析して理解できるのかもね。でも愛というスパイスを料理の工程に練り込むことで、私の想いを溶かし込んで貴方の一部になれると信じてるの。そこには科学じゃ語れないロジックがあるの。

この想いの一つは私は汗が一つだと思ってるの。真剣に料理に打ち込めば汗の一つもかくよね。今は猛暑で騒がれている夏だからだけど、冬でも真剣に料理をしたらなんだかんだ汗をかく。この汗は想いの一つだと思うの。

料理中は手を離せないからラジオをかけながらふわっとした感じで、徐々に集中していって、ラジオが耳に入らなくなっていくときが好きで、料理と貴方だけと向き合っている瞬間ができるだけ長く続くようにしていって、もっともっともっと続けばいいなっていくの。

真剣に料理をしていれば額に汗もかくし、それもまたひとつ。
気持ちの整理こそが私の求めていることで、料理をして額に汗をかくことは、私にとっては合理的だし・気持ちを昇華させるために必要なことなの。
だからサラフェはいいんじゃない。

なんだろこの感情

兎にも角にもつらい。

なんだか始めてみたものの、この感情の扱い方に悩む。とめどなく溢れる感情はコップの水を満たして溢れるかのごとく、限界を超えてしまい、止まらなくなる。
泣けばいいのか、わめけばいいのか、わらえばいいのか。

そんな感情の溢れ出始めはいつも決まっている。

緊張やあせり・怒り・PMSや生理周期そんなものに左右されてこれでもかと引き出されてしまう。

これは誰にでもあることで私特有のことではないことを意識すると少し落ち着く。
その後数日経てば元通り。
とめどなく溢れた感情のことなど忘れされる。

だからこそ、この浮き沈みが愛おしいし、嫌悪感を抱く。
どれだけ自己中心的な発想なのであろうか。

合理的・論理的そんな言葉がキライ。
私はわたしで、私なのだから。それ採用。

人間は所詮動物。論理なんてのは後付で人々が培ってきたロジックに則って、正しさを証明するだけだから。
ねぇ。猿は合理的に論理的に動くの?考えるの?

「AがBでだから足したり掛け算すればC」
言いたいことはわかるよ。
そうじゃないんだよ。
人間は人間であり、動物でもあるよね。論理的に正しいことが全てじゃない。

だから尊いし、所詮生き物。

合理性を美しくとらえる貴方だって、便もするし、汗もかく。要は動物であることには変わらない。

自分が合理的に考えられるタイプだからって、そうじゃない人を蔑んだり、そのかいてきた汗を無視したらいけないんじゃない。

私の緊張からくる顔の汗を揶揄したりする。(実はサラフェプラスで顔汗対策してるのにね。)

合理的に考えられる人間の脳と動物でもある人間の本能は、同居してるけど、一緒じゃない。
それが人間じゃないの?

貴方は議論が得意。論理的に考えられるから。でもそれは、一つの現象を、分解して的を得た答えを用意してるだけ。全体的ではないの。
論理だけで人間が理解できるなら貴方は間違いなくAIに淘汰される。正確に言えば、論理で構成できる世界になれば合理主義者なんて必要なくない?
人間は不確かで愚かだから人間なの。
この愚かさと不確かさと合理性の間を理解して愛すことをできれば男と女の壁を少し超えられるようになるはず。

だから、もう少しこっち来て。
わかるでしょ。合理性じゃない感情で揺らめいている私の今が私自身の本質で、私の本当の気持ちだから。AIじゃないの。
キライならロボットを愛せばいい。きっとそんな世の中はもうすぐだよ?

もう少しだけ、論理的じゃなくて、合理的でも無い私の本当の気持ちを掘り下げてみて。わがままだけど。